教員は「研究熱心」というイメージが
あるかと思います。
実際に「校内研究」や
研修会などがたくさんあり
常に学び続けていると感じます。
しかし、教員がどれだけ学んでも
中々、子どもたちの学力が向上しない
なんてことを感じることがあると思います。
教員の研究の見直しと
自ら学ぶ子どもたちの育成の仕方を
考えていきたいと思います。
教員の指導力が高くても、生徒の学習能力は「比例して」伸びない
教員の指導力が高いことは
生徒にとって大きな支えになります。
学力が本当の意味で伸びるということは
「学び方」を手渡された子どもだけ
という見方ができると思います。
教員の指導力が高いことは重要ですが
それだけで生徒の学習能力が
十分に伸びるとは限らない
と感じる場面もあります。
なぜなら
学習能力とは「教えてもらった量」ではなく
自分で考え、課題を見つけ、繰り返す力だからです。
過去にこのような話を聞いたことがあります。
教え方の上手な先生がいる塾よりも
「ここまで勉強してきて」と
課題を出す塾の方が
成績が伸びた。
では、教員の指導力は無意味なのでしょうか。
答えは NO です。
ただし、その役割は
「分かりやすく教えること」ではなく
生徒が自分で学び続けられる状態を
つくることにあります。
この視点を持てるかどうかが
これからの教員にとっての「分岐点」に
なると考えています。
「分かった気」こそ、学力が止まる最大の原因
次の事例は
多くの先生が経験しているかと思います
- 授業中はうなずいている
- ワークはその場では解ける
- でも、テストや時間が経つとできない
これは
生徒が「分かった気になっている状態」です。
「先生と一緒ならできるけど
一人になるとできない状態」
これが、いわゆる
「教師の指導力が高い=学力が伸びているように見える」
錯覚です。
学習指導要領が本当に重視していること
学習指導要領では
「主体的に学ぶ」「自分で考える」
といった表現が多く見られます。
これらのことから
教師がすべてを教えるのではなく
生徒自身が学びを進める力を身につける
ことを重視していると
読み取ることもできます。
これを極端に言い換えると
「先生がいなくても学べる力を育てなさい」
ということです。
つまり
✔ 上手な説明
✔ 完璧な板書
✔ 分かりやすい例え
これらは手段であって目的ではないのです。
※学習指導要領についての記事はこちら
現場でよくある「研究」の実態
ここで、少し踏み込んだ話をしたいと思います。
多くの学校で行われている授業研究は
- 授業構成の改善
- 発問の工夫
- ICT活用
などに力が注がれている学校が多いかと思います。
しかし、成果を冷静に振り返るとどうでしょうか。
- 数年続けて学力は本当に伸びたか
- 生徒は自分から学習するようになったか
私もこのような研究を行っていましたが
正直、胸を張って「YES」と言えないのが実態です。
では
「その研究は、誰のための研究なのでしょうか?」
教師は自身の何を向上させ、何を教えるのか
答えはシンプルです。
教師が本当に鍛えるべき指導力は
- 正解へ「導かせる力」ではなく
- 課題を「見つけさせる力」
なのではないでしょうか?
具体的な実践例としては
- 答えのない問いを投げる
- 正解に向かわず、自分の考えを持たせる
- 現実的な考えを持たせる(一人暮らし、就職など)
例:
「今日の授業で、一番わからなかったところはどこ?」
「それを解決するには、何が必要?」
生徒は「勉強しなくても」困らないのが現実
今の子どもたちは
- スマホもゲームもある
- ご飯が出てきて、送迎もあって、楽しみもある
- 成績が悪くても小言を言われるだけ
勉強ができなくても
「今」は困りません。
だから、将来についても
深く考えられないのではないでしょうか?
- 低収入でも生きていける(日本の経済の特徴)
- 正解はネットにある
- 誰かが何とかしてくれる
そう感じている生徒も少なくないかもしれません。
そのため
「勉強しなさい」という言葉だけでは
行動につながりにくい場合もあります。
※子どもの課題解決力を伸ばす記事はこちら
まとめ
- 指導力と学力は必ずしも比例するわけではない
- 主体的に反復して学ぶ経験が
学力の定着を支える場合がある - 教師の役割の一つは「学び方」を残すこと
この視点を持つことが
これからの教育を考える上での
ヒントになるかもしれません。
あなたは、どんな教育が必要だと考え
どんな指導力を高めたいですか?
そして、どんな日本にしていきたいですか?
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
拙い文章でしたが、次回も読んでいただけると嬉しいです。
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